<アーティスト概要>
さて、ABCと来て次はD。Deep PurpleもDave DaviesもDixie DregsもDamnedも素敵ですが、ここはDerringerを取り上げましょう。いずれくどくど語りたいんですが、Rick DerringerとRonnie Montroseこそ、アメリカン・ハード・ロックの立役者だと思うというのがわたくしの見解なのです。(KissとAerosmithの偉大さと観客動員数の大きさは認めますが、どうも彼らの基本はブリティッシュ・ロックにあるような気がしていて……異論反論招いてしまいそうですが。)
DerringerというのはRick Derringer(Vo, Gt)が率いたバンドでして、このグループの話をするにはRickのプロフィールに触れなければいけません。Rick Derringerがにショウビジネス界に登場したのはThe McCoysというバンドの一員としてでした。「HangOn Sloopy」という曲がヒットし、彼は十代でポップス界のアイドルとなります。The McCoysは別に一発屋ではなく、他に当たったシングルもありますし、アルバムも4枚残している(後期になるとサイケ・ロック風になる)のですが、最初のヒットの印象は強すぎましたね。Rick自身、後のソロ活動やDerringerの時代にも、「Hang On Sloopy」は演じ続けています。
その後70年代に入ってRickは、アメリカのブルーズ・ギタリストJohnny Winter及び彼の弟のEdgar Winterの参謀役(プロデュース、ギターでの参加)として貢献します。Johnny Winterのアルバム『JOHNNY WINTER AND』や『JOHNNY WINTER AND LIVE』では彼のセンスとプレイが楽しめます。Edgarの方でも『ROADWORK』や『THEY ONLY COME OUT AT NIGHT』など多くに参加。そして73年には、Rick Derringer名義でソロアルバムを発表します。「Rock And Roll, Hoochie Koo」という大ヒット曲を含む『ALL AMERICAN BOY』、この作品はハード・ロックというにはヴァラエティに富んでおりまして、「~Hoochie Koo」や「Teenage Love Affair」のような軽快なロッキングソングもあれば、「It’s Raining」や「Jump, Jump, Jump」のようなバラード、ミドルテンポの「Umcomplicated」「Slide On Over Slinky」、「Joy Ride」「Time Warp」のような軽妙なインストも配されておるのであります。ほとんどすべてのパートをRickが演奏し、ドラムは名手Bobby Caldwell(Johnny Winter, Captain Beyond)がつとめておりますね。
75年にはセカンドソロ『SPRING FEVER』を発表。こちらは、Johnny Winterに提供した「Still Alive And Well」「Roll With Me」のセルフカヴァーを含むほか、終曲の「Skyscraper Blues」ではピアノでEdgar、スライドギターでJohnnyのWinter兄弟が参加。そのせいもあって、ブルーズ色が強まった感じがあります。ちなみにドラムはJohn Siomos!そう、Peter Framptonのモンスター・ヒット・ライヴ・アルバム『FRAMPTON COMES ALIVE』で叩くことになる方なのであります。手堅いドラム。
70年代のRickはまあそんなわけで大変に忙しくしていたのですが、自らのハード・ロック・バンドDerringerを遂に結成します。今までとどう違うかと言えば、固定メンバーで曲を作りライヴも行うという意味で、「生きた」グループにしたということでしょう。周りのメンバーは、Danny Johnson(Gt)、Kenny Aaronson(Ba)、Vinny Appice(Dr)。いやあ、凄い。
*『SWEET EVIL』ジャケ。左からKenny、Danny, Rick, Vinny.
Dannyは、後にGraham BonnetのAlcatrazzに三代目ギタリストとして参加しますが、先代がSteve Vai、先先代がYngwie Malmsteenだったために比べられて「地味」とか言いがかりをつけられてしまいました。しかし、これは冤罪である。彼は曲芸的な速弾きをしないというだけで、ブルージーなハード・ロックは実にうまいのです。とにかく、Derringerを聴いて欲しい。ちなみに、最近ではなんとアメリカン・ロックの古豪Steppenwolf(「Born To Be Wild」が有名な)のリードギタリストになっているのですね。
次にKenny Aaronsonですが、多分本格的デビューは1970年のDust『DUST』。Richie Wiseが率いたへヴィロックバンド(ついでにいうとドラムは後にパンクバンドThe Ramonesに加入するMarc Bell)なんですが、ベース暴れまくりですね。Kennyは後に、Sammy Hagar(Montrose、Van Halen、ソロ)、Neal Schon(Journey)、Michael Shrieve(Santana、Automatic Man)とのバンドHSASでもプレイしています。
最後はVinnyですが、彼の年はなれた兄Carmine AppiceはVanilla FudgeやCactus、Beck Bogert & Appiceその他で名をはせた名ドラマー。本人もDerringerでの活躍後、一時Black Sabbathに加入し、その後Ronnie JamesDioのバンドDioを支えた名ドラマー。あるインタビューで「お兄さんの影響は?」と訊かれて、「ドラムを叩くようになったきっかけではあるけど、自分のスタイルとしては好きだったBlack SabbathのBill Wardに近いんじゃないかな」という旨答えていたように記憶します(出典が示せず申し訳ない)。VinnyのDerringerやDioでの叩きっぷりを聴いてると、持ち味は手数の多さかなと思いますが、どうでしょうね。
さて、前置きが長くて済みません。要するに、Derringerというバンドは、Rickの名前だけに頼ったグループなんかじゃなく、アメリカン・ロックの猛者・巧者が集まったスーパーバンドだったのでは、と言いたいわけです。で、作品がつまらなければ何にもなりませんが、期待は裏切られません。(続く)