オーディションは、文化委員(生徒)や担当の先生方による審査・投票だったと思いますが、出場をもくろむバンドがそれぞれの持ち時間の中で(だいたい2・3曲ずつくらい)パフォーマンスを披露して評価を受けるのです。順位が出るので、上の方から文化祭当日の出番――他の人気イベントと重ならないところとか――を選べるという仕組み。3年生バンドがたくさん出ると2年生は不利になったりとか、変動的要素もありますが、基本的には事前の練習次第なのでみんな頑張りましたね。オーディション受けた曲は「Tell Me」と「Love Love Show」だったかなあ……?うろ覚え。
で、出るからにはバンド名も決めないと!ってことになって、やはり民主的に会議が開かれた筈。英和辞典を開いて変な単語を探したりとかいろいろやった挙句、誰のアイディアだったか、NAPESという案が出てそれに決まりました。意味は……まあ辞書で調べて下さい。この名でオーディションにエントリー。当日は、私はやっぱり緊張しましたよ。他のバンドがどれも上手に見えてねえ。何とか終えて結果を待ちますと、どうにか出られることには決まった様子で一安心。
で、たぶんそれからだと思いますが、今度はワンステージ分の楽曲を確保しなければということで、練習も加速。前述の3曲に加え、7・8曲は追加したんだと思うのですが、遺憾なことに文化祭当日の音源が手元に無い。何をやったんだっけ?間違いないのは、hide「D.O,D.」、The Blue Hearts「僕の右手」。布袋寅泰「Poison」、Glay「春を愛する人」、Nirvana「Smells Like TeenSpirit」、Green Day「Basket Case」もやった気がする。というか、すごいとっ散らかり具合だよね。洋楽とか邦楽とかの括りも無し。ヴィジュアル系もパンクも何でもあり!この姿勢は一貫したものでして、「メンバーが、良い!と思ったらやる」バンドだったのよ。周りのバンドはもうちょっとまとまりというかコンセプトがあったみたいですけどね。(当時は、ヴィジュアル系やメロコアが盛んだった気がします。洋邦問わず、“ソフトでポップ”なものよりも“ハードでタフ”なものが好まれていたと思う。)
後はね、細かい思い出もありますよ。文化祭は2日間あるんですが、一方の日に部活の試合が重なってしまい、ベースHが出られなくなってしまったんです。その一日については、別のバンドでベースを弾いていた人に半分ヘルプを頼み、残り半分はHがあらかじめ録音しておいた音源に合わせて演奏することになりました。Aの知り合いの方がベース録音に協力して下さって、その方のところへバンドの皆でお邪魔したのも憶えています。(さらに細かい記憶をいうと、その方の家でPat Torpey(Mr.Big)のドラム教則ビデオ――パラディドルの話をしてたなあ――も合間に見せてもらいましたね。)でもね、その時はわかっていなかったけど、録音に合わせるっていうのは初心者ドラマーにとっちゃしんどいことになるんですよ……
文化祭当日、ヘルプの方との音合わせはうまくいったんですが、録ってあった音源に合わせるのが上手く出来なくて。私だけヘッドフォンをして、クリックとベースの音に合わせて叩く……筈だったんですが、ちょっと盛り上がってくると、アタマがどこだかわかんなくなっちゃうんです。折角Hが弾いてくれていたラインなのに、申し訳ない。あと、私のハシり性(どうもステージでは走り気味になってしまう)もあって、この試みは大成功とはいえない結果になってしまいました。
メンバーが全員揃ったもう一日の方は、まずまずだったと思いますけどね。オーディション前から演ってた曲はさすがにそこそこの出来だった筈だし、「D.O.D.」なんかは(無茶な疾走感が)大うけだった気がする。なぜかブルー・ハーツから取り上げた「僕の右手」も、Yのタフなヴォーカルが活きていたと思いますし。この時(文化祭)の音源どこかにないかなあ。
<続く>