DON'T PASS MUSIC BY

"Fashist an di attack ,den wi countah-attack......"<Linton Kwesi Johnson>

第24回「連載再開します――並びにある小発見について」(2)

第三の素材は、古本でした。『サタン・オールスターズ――聖飢魔Ⅱ地球デビュー10周年記念絵巻』という書籍を購入(1995年当時の定価より高かった……)しまして、95年当時の構成員の「議事録」というのをパラパラ読んでいたのですね。
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バンドの歴史を振り返り現在を論ずる座談会記録だったのですが、そこに件のニューヨークミサ関連の詳細が(実はすでに)語られていたのです。19911221日にニューヨークのリッツというライヴハウス聖飢魔Ⅱはミサを敢行、観客の多くは観覧ツアーで来た日本からの人々だったが、その中に現地の音楽プロデューサーがいたと。

 

ルーク参謀:有名なプロデューサーで、エアロスミスとかやってるポール・オニールという者が来たんだ。

 

デーモン閣下:日本からのツアー客がほとんどで、英語でやってもしょうがないという感覚はあったのだ。でも、一応、アメリカ人も多少見に来るらしいと言うし、何があるかわからない。せっかく英語のMCもできてて、ロンドンでも完璧というわけでもなかったので、“江戸の仇を長崎で”みたいな。ロンドンでできなかったことをニューヨークでやろうと。そうしたところが、たまたまその人物が興味を持って見に来ていたのだ。サバタージというバンドを当時プロデュースしていると言っていたな。「会っていい話がしたい」と言われて、ニューヨークにいる間にね。

 

(司会):お会いしたわけですね。

 

閣下:会ったら、彼は「めちゃくちゃ、聖飢魔Ⅱを気に入った。ぜひともプロデュースして、ソフトを出したい」みたいな話だったのだ。その人は、基本的にはフリーのプロデューサーなんだ。「とにかく、君たちのやっている他のライブのテープだの、ビデオだのが欲しい」という話になった。でも、詳しくはわからないが、ちょうどその時、彼がやっていたサバタージというバンドが、あんまり成功しなかったのだ。それで我々の話も断ち切れたんだ。

 

参謀:サバタージ自体はまだあるし、この前日本にも来ていた。ただ、ギタリストが交通事故で死んで、それでつまずいちゃったけどね。実際、サバタージは、そういった意味であんまり活動的でなくて、たぶん契約をふいにしたんだと思うんだ。

 

閣下:結局、そのプロデューサーの力が弱まって、わざわざ日本からバンドをつれてきてやろうというパワーがなくなってしまったんだ。そういう点では運が悪かったのかもしれないな。あの人は、ミュージカルみたいなことをやりたかったみたいだね。オフ・ブロード・ウェイで、ロック・ミュージカルみたいなのをサバタージを使ってやりたいみたいなことは言っていたんだ。「彼等は演劇的な要素があるので、ぼくが、今、その原稿を書いてるんだけどね。やつらにやらそうと思ってる。それが成功したら、次は君たちにやってもらおう」そういう話だったんだ。【『サタン・オールスターズ――聖飢魔Ⅱ地球デビュー10周年記念絵巻』シンコーミュージック1995年】
 
きっと熱心な信者の方はご存じだったのでしょうが、私の如き1999年からのファンからするとこれ、“うおお、大発見”だったわけですよ。まったく別々に好んで聴いていた内外の2グループに、「幻の」とはいえ接点があったとは!?それに、そのことに気づいたのが結節点たるオニール氏の訃報の直後だったというのも何とも。

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SAVATAGEはホントに良いメタルバンドで、GUTTER BALLET1989)・STREETS:A ROCK OPERA1991)・EDGE OF THORNS1993)あたりはメタル史に残る名盤群だと断言出来ます。ただルーク参謀のことばにあるように、『EDGE』完成後の19931017日、リードギタリストであったCriss Olivaが交通事故で亡くなってしまいます。バンドはそもそもCrissとその兄でメインソングライター兼ヴォーカリストJon Olivaが創始したものでしたから、打撃は相当なものでした。兄Jonは弟の死という悲劇を乗り越えてバンドを継続することを決意、リードギタリストに元TESTAMENTAlex Skolnickを迎えてHANDFUL OF RAIN1994)を制作します。そして、これまたルーク参謀の語っているように(HR/HM事情については参謀が最も詳しいようですね)「日本にもやって来た」のです。この時の様子は、JAPAN LIVE ‘941995)としてビデオ及びCDとなって残されています。ちなみに私が最初に聴いたSAVATAGEは実はこのライヴCDでした。
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そして、「ロック・ミュージカルみたいなもの」と言われているのが、この座談会の時点ではまだ世に出ていなかったTSOのプロジェクトだと思われるのです。TRANS-SIBERIAN ORCHESTRAのファーストアルバムCHRISTMAS EVE AND OTHER STORIES1996)には、SAVATAGEの当時の全メンバーが参加しているのでした。TSOは、年末になると登場する「クリスマス・プロジェクト」としての地位を確立し、その後コンスタントに作品を出しつつステージも重ねていました。

 

私の持っているオリジナルアルバムBEETHOVEN’S LAST NIGHT2000)も、「幻の第十交響曲をめぐりメフィストフェレスと対するベートーベンの最期の夜」という架空の物語を音楽劇でやったもので、大仰なオーケストレーションとロック的メタル的高揚感がマッチした快作。イメージ 3「シアトリカル」なものを求めていたポール・オニール聖飢魔Ⅱに目を付けたというのは慧眼というべきでしょう。実際聖飢魔Ⅱ1995年に「日本舞踊とロックの融合」を試み、花柳鳴介師および一門とバンド聖飢魔Ⅱが四つに組んだ「舞踏歌劇」を披露しているのですから。
 
ポール・オニールの仕掛けでアメリカで(あるいはヨーロッパで)出ていたら、どうなっていたのでしょうね。事実関係がわかるとますます妄念が沸き起こるのでありました。<続く>