先日修理に出していたミニコンポが返ってきました。買った時の値段の1/4~1/3くらいの費用は掛かりましたが、まあ5年物では仕方ないでしょうか。
やはり馴染んだ機械で聴くと良いですなあ。上の写真がその姿なんですが。ちなみに横(スピーカーの間)に写っているのは、聖飢魔Ⅱのライデン湯澤殿下(Dr)のフィギュアなのですね。私が素人ドラマーだということは何度か申し上げたと思いますが、国内ドラマーで最も好きで尊敬しているのがライデン殿下なのですよ。
どういうところが素晴らしいかというのは、いずれ個別作品を語らせていただく際に詳述したいのですが、簡単に言うと「とてつもなく正確でありながら、機械っぽさがぜんぜんないところ」は大きな要素ですね。例えば聖飢魔Ⅱというバンドはライヴ音源を比較的多く出しているのですが、そのどれをとってもドラムは「完璧」なのですね。他の構成員(バンドメンバー)の方々も「彼は絶対外さない」と仰っています。
殿下はプログレも好まれていて、その要素が演奏にもしばしばあらわれるのが素敵なのですが、複雑なフレーズを叩くときも音の粒がそろっていてすべての音がきちんと聴こえます。これも凄いことで、速弾きならぬ速叩きをする場合、割と「テクニカル派」のドラマーというのは音が薄くなってしまうことがあるのですね。(例を挙げると、RING OF FIREでのVirgil Donatiさんとかでしょうか。彼がジャズ・フュージョンにも通暁したスゴいドラマーであることはわかるのですが、どうしても「ロックっぽさ」が希薄になってしまう……ように思うのです。)ライデン殿下は、スネアを除く各部分のチューニングをかなり低くすることによって、「しっかり叩かないと、鳴らない」ように自分を追い込んでいたといいます。現在どうされているかは存じませんが、聖飢魔Ⅱ時代の録音は「確かにねえ」という感じでございます。
さて、本来のABC……に戻る前に、今回のみ特別企画をお許しいただきましょうか。この1か月ちょっとの間に、いま言及させてもらいました聖飢魔Ⅱに関して一つ発見があったものですから。
まず。聖飢魔Ⅱ解散後、2005年の期間限定再集結時に発行された『聖飢魔Ⅱ激闘録ひとでなし』という書籍(構成員のインタビューを含むヒストリー本)に、「1992年頃、海外で作品を出すプランも持ち上がっていた」といったことが記されています。結局、海外で引き受けようとしていたプロデューサーがやっていた別バンドが失敗してしまい、実現しなかった(日本のバンドを引き受けるまでにいかなくなってしまった)というのですが、それがどういう人のどういう事情だったのかは詳しく書かれていませんでした。正確を期すため引用します。
セビリア、ロンドン。さらにはニューヨークでもミサが行われた。これをきっかけに、世界へ向けてデビューする。そんな話も実際にあった。ニューヨークの音楽プロデューサーがニューヨークでのミサを見て、「話がしたい。聖飢魔Ⅱをアメリカで出したい」と言ってきたのだ。〔中略〕
「そのプロデューサーが手がけていたバンドが失敗して金がなくなったとかでダメになった。残念ながらニューヨークのミサを観にきていたのは、その一人だけだった。〔後略〕」(デーモン閣下)【山田晋也著『聖飢魔Ⅱ激闘録ひとでなし』パンプロダクション2006年】
実現していたらLOUDNESSのような感じになったのだろうか、とか、平凡なメタルファンとしては妄想したものでしたが、このことは割と長く(それこそ十年来)気になっていたことでした。ただ手掛かりはそれ以上なかったのです。
次に。何か月か前に『CLASSIC ROCK』という英語の雑誌――オマケのCD欲しさに時々買って、興味のある記事だけ一生懸命読むんですけど――を見ていたら、「TRANS-SIBERIAN ORCHESTRAのPaul O’Neillが死去」という記事が出ていました。
TRANS-SIBERIAN ORCHESTRA(以下TSO)は何枚か持ってますし(『BEETHOVEN’SLAST NIGHT』とか)、ポール・オニールといえばフロリダ発の名バンドSAVATAGEの音楽的次元を高めたプロデューサーということで知っていたので、ちょっとびっくりしたわけです。SAVATAGEもTSOも、クラシック音楽の要素をかなり大胆に取り入れて、構成・構築された楽曲をヘヴィ・メタルの流儀で奏でるという個人的には「美味しいことやるなあ」バンド・ユニットでした。仕掛け人のオニール氏にも一目置いていたのですが、亡くなっていたのか、と。自分がそれなりに興味を持って追っかけてたアーティストの関係者が亡くなるというのも残念なものだと、その時は思いました。
今年7月までは全く無関係だったこの二つの情報。この二つがつながるときがやってきたのでした。ちょうどわがコンポが壊れている間に。(続く)